ぼろPCは役立つか2

悪用、公私混同、単なる誤解?

ある日、San Miguel Siguiláのシラスが「コンピュータが一台動かなくなった から見てもらえないか」と電話をかけてきたので、土曜日の午後に entremundosのオフィスに持ってきてもらって見てあげた。例によってハード ディスクが激しく古いせいで、エラーが頻発していたので、ハードディスクを 交換して、ついでにメモリも増設してあげてから、Windows 2000のスペイン語 版やopenofficeとかいったアプリケーションをインストールしてあげた。私は そのコンピュータがSan Miguel Siguiláの学校のコンピュータの一台であるこ とを微塵も疑っていなかったから、私達のボランティアワークの対象と思って いたわけである。

しかし、全部作業が終わってから、「これは私の義兄のコンピュータで・・・」 と言うではないか。これには、ガーンとショックを受けた。どうしてそんなこ とをまず先に言わないのか、シラスと私が親しいからその友情の範囲で私が見 てあげられることはあるが、entremundosの倉庫にあるいろいろな部品は私の ものではない。それらはマテオのプロジェクトでUSから送られてきたものであ り、メモリーやハードディスクを回収してグァテマラまで送り、そして entremundosの倉庫で使用可能状態になるまでにはたくさんの人の善意のボラ ンティアが介在している。誰もある特定の人に特別の利益をもたらすためにボ ランティアをしているわけではない。私が、そういう人達の善意の行為をふみ にじるような間違った部品の使い方をすることは許されるものではない。

いきなりのことでその場でとっさに何をすべきかよく考えることもできずに、 事情を説明して「後からお金を請求することになる」と言うだけ言って、部品 を取り戻す様なことはしなかった。シラスはしきりに謝っていた。彼も私達の プログラムを悪用する気で持ってきたのなら、自分から義兄のコンピュータで あることを言い出したりしないだろうし、たぶん私達と親しくなったから、学 校のコンピュータでなくても見てもらえるだろうと誤解していたのだろう。

他の学校の先生からは、「私の自分のコンピュータを持ってきてもいいでしょ うか」という相談を受けたことはあるし、私の頭の中では、公立学校の先生た ちはいきなり事前に説明もせずに自分の個人のコンピュータを持ってくる様な 公私混同はしない人達だと仮定していた。しかし、この事件で、すこし悲しい ことではあるがそういう仮定をしてはいけないと思わざる得なくなった。

公私混同のモラルスタンダードに関してグァテマラと私が過去に経験してきた 世界で違いがあるのかもしれない。ある程度親しくなった人々の間ではいろい ろ融通しあうのが普通なのかもしれないし、そこで、「これは私個人のもので はないから」とかいう細かいことは気にしないのかもしれない。しかし、そう いう小さな事がどんどん膨らんでしまうと大きな汚職になってしまう。実際グァ テマラは激しい汚職の国であることを考えてみると、そういう事情はあっても 不思議ではない。

私は勝手に個人的にボランティアをしているだけだから、私の労働が誰に対し て利益をもたらすことになるかに関しては、誰かに対して責任を感じる必要は ない。私が個人的にいろいろ利益があると思えば、ある特定の人に利益が及ぶ ことがあってもよしとできるし、結果的に自分の思惑とは違って一部の人の利 益になってしまったりすることがあっても、「まぁ今回はしょうがない、同じ 事はもうやめよう」と思ってすませることもできる。

これが、どこかの団体や政府から給料をもらってやっていたら、善意のお金や 国民の税金に対して責任を感じながら取り組まねばいけないのだから、ずっと 大変だろうと思う。よほどしっかりしていないと、「いつのまにか親しくなっ た人達にいろいろ融通していた」ということは非常にありえることだろう。政 府系の援助などでプロジェクトで動く金も大きくなると、そのちょっとしたこ とが巨額なことになりかねない。援助に絡まる腐敗は批判するのは容易いこと だが実際に腐敗しないようにするのはかなり大変なことであることがなんとな くわかる。

とまぁ、いろいろな事を考えさせられる事件であった。

サーバーを設定してみたが

公立学校にサーバーを設定して、イントラネットの中でメールやブログという ようなことができるようにしてあげればどのくらい役立つものになるか。ベン ハミンならメンテナンスもできそうで、私の一方的な押し売りで迷惑をかける ことにはなりそうでなかったので、彼の学校でトライしてもらうことにした。

サーバーのマシンに一番強力なマシンを選んでもらって、メモリも384Mまで拡 張してもらい、そこにOSとしてedubuntuをインストールし、その上にDHCPサー バー、DNSサーバー、メールサーバー、HTTPサーバー、というサーバー群をイ ンストール。WebMailとしてはOpenwebmail、Blogとしてはwordpressを設定。 この二つはいずれもスペイン語をデフォルトに設定する。

一つのスクリプトでメールアカウントとブログアカウントが同時に作られるよ うにして、先生が生徒のアカウントを作ってやりさえすれば、後は生徒が自由 にメールを出したり、ブログを作ったりできる環境を作った。

いくらベンハミンが優秀で熱心とはいえ、さすがにこれだけのこと一気にやる のは大変である。後で自分で復習できるようにマニュアルを作っておいてあげ て、実際の作業は私が直接学校に行って助けながら行った。

彼の学校は小学校しかないところが少し残念で、小学校上級くらいになるとメー ルくらいは活用するかもしれないが、ブログとなるとちょっと無理かもしれな い。子供達の興味に火がつくようなことがあれば、かなりやるかもという期待 はあるが、限られた時間でしかコンピュータを使えない子供達に火がつくとい うのはあまり期待できない気がする。

とにかく、環境の設定は終わったので後はどのくらい活用してもらえているか、 ベンハミンから時々様子を聞くことにしようと思う。

巨大マシン

Xelaから車で50分程度のところにSan Martín Sacatepéquezという町があって、 2月の末にそこにある小さな小学校を訪れた。新しくコンピュータを10台配布 するにあたって、設置をヘルプするのが目的であった。かなり田舎の小さな学 校で、ここでも日常会話のかなりはマム語が使われているようだった。

ここではコンピュータ専用の部屋を作る余裕はなく、普通の教室の壁際にコの 字型にコンピュータを設置して、コンピュータも勉強できる部屋という形にし ているようだった。コンピュータを設置する机が小学校の1年生位の小さな子 供が二人並んで座るタイプの小さな机で、そこにモニタを置くともう場所がな くなってしまいそうだった。私は、壁にくっついていた机を少し動かしてもらっ て、モニタの後部の出っぱりを机の後ろに出せるようにして、モニタ前部のス ペースをできるだけ広く作るように指導しながら設置を手伝った。

翌日から新しいおもちゃの突然の登場に生徒達が大興奮する様子が目に浮かぶ。 どこまで教育効果があるかどうかはともかく、喜んでもらっている事は確かで ある。

「プリンタを購入してきたらつなげられか」とある先生から質問された。配布 したコンピュータは、キーボードコネクタが大型DINのものが10台のうち4台で あると言えばわかる人にはどのくらい古いかわかってもらえるだろうが、とに かくかなり古いコンピュータで、USBポートを持っているものは一台もない。 今日日のプリンタはほとんどUSB接続で、パラレルポート接続のプリンタがま だ売っているのかどうか自信がなかったから、あまりはっきりした返事はでき なかった。

設置が終わり、無事に全てが動作することを確認した後、午後もだいぶ遅くなっ てきていたので早く帰りたかったのであるが、同じSan Martín Sacatepéquez の別の学校から一人の先生が「日本人エンジニアが来ていると聞いたので大急 ぎで持ってきた」と巨大なマシンを持ち込んできていたのを無視するようなむ ごいことはできなかった。この「日本人」というのに魔法の様な力を持ってい るという期待感が込められてしまっては、なおのことである。

そのマシンは一昔前のサーバー用マシンで、おそらくフォールトトレラントシ ステムになっているのであろう、ペンティアム2が2個搭載されていて、ハー ドディスクもSCSIで複数台搭載が標準になっている。ケースも電源も巨大で、 とにかく重い。サーバーの何たるかも知らない人達に、こんなぎょうぎょうし いサーバーマシンを提供したのはいったいどういわけなのか。単に使用済のい らなくなったマシンならなんでもいいと思ってグァテマラに送ってきたのか。 とにかく、受け入れさせられた方はいい迷惑であろう。しかし、持ち込んでき たおばさん先生の願いは単純で「動かないから動くようにしてほしい」という ことだった。

私はメモリを交換することで全く動かない状態から、立ち上がる状態には持っ ていけたが、ハードディスクにOSが入ってなかったので、その場では修理作業 を完了できなかった。その巨大マシンをEntremundosのオフィスに持ち帰りOS をインストールして普通のコンピュータとして使えるようにしておいてあげた から、そのうち車を手配して巨大マシンを持ち帰って使うことであろう。それ にしても、巨大であるということは全くやっかいなことである。誰もが車を持っ ていて、電気代が倍かかることなど気にしないという人がほとんどという国で は、これがいかにやっかいな代物であるかなかなか想像できないのかもしれな い。

INEPAS で仕事を始める

Partners in SolidarityのプロジェクトはINEPASという現地側で面倒を見る団 体があって初めて成立している。INEPASの責任者のマリアさんは私のアパート の大家であり、私の事をよく知っていることもあり、「単にこのプロジェクト の支援だけでなく、INEPASのオフィスの仕事の手伝いもしてくれないか」と頼 まれた。ちょうどUAMではあまりする仕事が無くなってきているところだった から、私は週2回、午後にINEPASのオフィスを手伝うことにした。

以前から知ってはいたが、マリアさんはグァテマラにやってくる外人ボランティ アに対する見方がたいへん厳しい。INEPASで働き始めると、マリアさんの見解 をさらに詳しく聞くことになった。

マリアさんの批判点はおおざっぱにまとめると三つのポイントがある。

まず第一に、多くの外国団体の援助は基本的に単なる「ばらまき」以上のもの ではなく、それは短期的にはグァテマラの人々に喜ばれているのを実感するこ とになるだろうが、長期的にはグァテマラの人々のために何の役にも立てない というか、むしろ害をもたらしている。Partners in Solidarityの援助も最初 はそういう類のものだったようで、マテオが単なる「ばらまき」をやっている のを、人々は「神さま、サンタさま、マテオさま」という感じで受け入れて、 それでマテオはいい気になっていたふしがあったようだ。しかし、マテオはそ の後、2年、3年とINEPASと一緒に仕事をしながらいろいろな事を学んで、よう やく今の様な状況まで持ってきたらしい。

「ばらまき」が何の役にも立たないことは私も同感である。「ばらまき」とい うのは、それを受けられる限定的な人々が特別新しい努力や能力開発をするこ となく利益を得られるという構造を作る。現地の人々の多くはその限定的な人々 の中にどうやって入るかという術の開発にあくせくしてしまう。それに、その ばらまかれた物が役に立たなくなったら、それでその援助は完全消滅する。コ ンピュータをばらまいたりしたら、それが動かなくなったら完全消滅するどこ ろか、やっかいなゴミを残してしまう。今日日、あからさまな「ばらまき」援 助は少ない。名目を見ると「現地の人々と共に・・・」とか、「長期的に維持 できる・・・」などということを掲げているが実質は「ばらまき」である場合 が少なくない。

第二に、これは「ばらまき」的援助の背後にあるものであるが、多くの海外か らの援助団体は短期的な成果を見たがる。一刻も早く人々が喜んでいる状況を 写真やビデオに撮って、成果報告として本国で見せたいようである。限られた 期間と限られた物資でいかに最大限の成果を上げるかということに関しては、 USのビジネスワールドが世界の最先端を行っているが、その手法をそのまま海 外援助にも持ってくる。私はUSで働いていた時につくづく実感したが、利益を 上げるための徹底した合理主義というのは「さすが」と思わせるものがある。 グァテマラを援助する団体にして見れば、「援助物資を集め、それを送った成 果を出す、そしてその成果をうまくプレゼンテーションしてさらに援助物資を 集める」というサイクルを回す必要があり、そのサイクルをいかに効率よく回 すかという点で、ビジネスと同じ徹底した合理主義を追求する。その見せるた めの「成果」というのは、往々にして現地の人々が長期的視点で必要な成果か らかけはなれている。

第三に、ボランティアとしてやってくる人のほとんどが、ボランティアを観光 の一部の感覚で行おうとしている。まともなボランティアを考えると、どんな に優れた技能を持っている人であろうと、一週間や二週間の短期間でグァテマ ラの人々の役に立てることなど何もない、またスペイン語能力が初心者レベル の人ができることはほとんどない。旅行ガイド本などに、ボランティア活動は グァテマラを見る上でいい機会だというようなことが書かれていることもあり、 短期間で「観光がてらにボランティア」という感覚の人がたくさんやってくる。 現地の人々の文化や習慣を学んで理解するだけでも最低1、2週間はかかるのに、 そういう事をすっとばして自分勝手なやりかたで人々を援助しようとすること などグァテマラの人々にとって「百害あって一利なし」なのである。

Entremundosなどは、この「観光の一部としてのボランティア」を担っている 側面がかなりあり、マリアさんはEntremundosに対してもかなり批判的である。 確かに「観光の一部としてのボランティア」がグァテマラの人々に悪影響を与 えているという現実はあると私も思う。こういう「ボランティア」の連中が常 時来るようになってくると、そこに「たかる」構造ができるのは自然の成行き である。「観光ボランティア」の人達には、自分達が軽い気持ちでプレゼント する物が現地の人々にどれだけ影響を与えるか想像することができない。「と てもいい人で御世話になったから、帰りに少しお礼のつもりでプレゼントをし た」という行為は、確実に「海外からボランティアで来る人の世話をすれば儲 かる」という心理を生む。そういう心理が人々の中に大きく巣食うようになっ てくることは大きな問題である。マリアさんは、すでにそういう状況に陥って しまっているグァテマラ人に対する批判も激しい。

「観光の一部としてのボランティア」には全否定できない側面もある。私はUS で暮らしたことがあるから知っているが、アメリカ人のほとんどはグァテマラ がはっきりどこにあるかを知らない。ほとんどの人が、「中米の一国らしい」 という程度の知識しか持ち合わせていない。そして旅行好きの人達の中でも 「グァテマラ」に行ってみたいという人はほとんどいない。ほとんどの人が、 中米の中で行きたい国はコスタリカで、本屋さんに行ってみれがコスタリカの ガイド本が棚一列分あって、グァテマラのガイド本は1、2冊という状況である。

そういう中で、グァテマラに来て、観光の一部とは言え、「ボランティアをし てより深くグァテマラを知りたい」というのは、それだけでも「立派」である。 若い人が学校の休みにグァテマラのことを勉強しても、それが「金」につなが る機会はほとんどない。それでもあえてグァテマラに来てボランティアをした いというのは、あれだけ「金が全て」の哲学に侵された国で、それはもう見上 げた若者ではないか。そういう人達に機会を与えることは、多少なりともグァ テマラの事を理解できる人を国際的に増やす上で、悪いことではないように思 える。もちろん理解のレベルも問題であるし、「中米の一国らしい」という低 レベルから引き上げるのに、グァテマラ人が悪影響を被らないといけないとい うのは割が合わないと言われればそうである。

とにかく、INEPASのお手伝いをしながら、これらの点に関してさらに理解を深 めていければ幸いだ。

ベンハミンのクラスに3人だけ

4月始めに、INEPASが公立学校にコンピュータを配布するプロジェクトの関係 者を招集して総会を行った。私はちょうどメキシコに旅行していた時だったの で参加できなかったのだが、200人近く集まった大集会だったようだ。

そこで、新しいプランが発表され、その一つとしてコンピュータの操作をほと んど何も知らない先生向けにクラスを開催することがあった。プロジェクトで 持っているお金(現状ではほとんどお金がなくて、これを集めるのも少したい へんなのだが、その話は置いておく)でベンハミンを先生として雇ってクラス を数回開催することが予定されていた。

そのクラスの一回目が先日あったのだが、参加者はたったの3人だけだった。 集まった3人は今後も続けて欲しいような意向だったが、この先続けて開催す ることは状況として難しくなった。

それにしてもどうして3人しか集まらなかったのだろうか。私が昨年末から新 年にかけて開いたクラスにはいつも30人くらいが集まる盛況だったのに、その 差が激しすぎる。学校の先生達はコンピュータのことを何もしらない人がほと んどだと聞くから、こういう初心者向けクラスの要望がないことはないはずで ある。

先生がベンハミンというところで「なんだグァテマラ人でそれもインディヘナ の若造が先生か」という心理が働いたのが影響したのではないかという気がす る。マリアさんの意見も聞いてみたが、マリアさんも同じように考えていた。

スペイン語があやしい外人が教えるより、同じ教育現場で苦労をともにしてい て、かつコンピュータの事にはずいぶん詳しいベンハミンが教える方が、参加 者にとってははるかにいいことは明らかである。しかし、物事はなにもかもそ うロジカルに正しい方向に向かえば成功するというわけではない。

考えてみれば、これは日本の英語学校が外人教師をもてはやすのに共通すると ころがある。私自身、渡米する前の数か月間、日本で英語学校に通ったことが あり、そこでもやはり講師はアメリカ人だった。彼が悪い先生だったと非難す るつもりはないが、どこの英語学校でもそうであるように、彼は英語がネイティ ブで大学出であるというだけで、英語を外国語とする人への英語教育に関して 特別の訓練を受けているわけではなかった。そういう講師は、私の英語の「何 が悪い」かは即座に理解できるが、「どうやって直す」かに関して何の方法論 も持ち合わせていない。結局その英語学校では金と時間に見合うほどの成果は なかった。日本人、あるいは他の東アジアの国の人で英語の勉強に苦労をして、 日本人にとっては何が大きな克服する課題であるかを知りつくしている人の方 が、少なくとも初級から中級までの生徒には間違いなくいいと思う。しかし、 そういう先生を売りにしたのでは生徒が集まらないだろう。

ハイテク先進国の日本やUSから来た人がコンピュータのクラスの講師をすると いうことは、「日本の英語学校で英語圏出身の人が講師をする」というのに近 い状況がグァテマラにはある。さらに、前項で述べている様な状況から、「外 人ボランティアと知合いになれば得をする」という心理がグァテマラ人の間で かなり広まっている。そういうことが、私のクラスに30人集まり、ベンハミン のクラスには3人しか集まらないという差につながったようだ。

ここで、「だったら、人が集まるように再び外人講師を前面に出して・・・」 と考えると、短期間成果達成主義に陥ってしまう。時間をかけてもベンハミン のクラスに大勢生徒が集まる状況を作る努力をすべきであろう。そしてベンハ ミンに続く現地人講師が現われて、外人なしでプロジェクトが進められるよう にしていければ本当の成功に近づけるだろう。

Creative Commons License
「親子三人、グァテマラに住む」サイトの全ての内容物の著作権は 「親子三人、グァテマラに住む」サイト作者が保持し、使用は クリエイティブ・コモンズ・ライセンス に従い許諾される。