日々の生活6

寒さ、峠を越す

話に聞いていたとおりXelaの一月は寒かった。

朝方の気温は0度近くまで下がる、それでも日本の冬に比べれば暖かいのであ るが、こちらの家には暖房というようなものはない。窓もきっちりしまる構造 ではないから隙間風はかなりある。ここに来る前にカリフォルニアの温暖な気 候で甘やかされていたせいもあり、朝の寒さはかなりこたえるものがあった。

午前10時ごろをすぎると日のあたるところは非常に暖かくなってくるのだが、 日のあたらない部屋はいっこうに暖かくならない。UAMのオフィスが特に寒く て、私は毎日毛布持参で、オフィスに着くとまず毛布を体に巻き付けることか ら始めていた。

2月になって、ようやく少し和らいできた感じがある。朝ベッドから出るのに もそんなに気合いを入れなくてもよくなってきた。

地方を見る

UAMのwebはあまり活用されている感じはしないが、とりあえず私の仕事として は一段落。もう少しUAMの仕事を理解するために、ホルヘがUAMが支援している 地方のグループを訪れるのに同行させてもらった。

Jacaltenango
まず最初に訪れたのはHuehuetenango州のJacaltenangoというメキシコ国境に 近い地域の小さな村々だった。年間を通じて雨がかなり少ないようで、はげ山 と荒涼とした枯れ草の地帯が続く、見るからに貧しそうな地域だった。朝6時 30分にXela を出てPevil Pamという様な名前の村に10時すぎに到着、そこで ACDINSOというUAMが支援している団体の人達が待ち受けていて、すぐにミーティ ングが始まった。ホルヘと代表の女性の人がいろいろしゃべって、他の人があ まりしゃべらないから、「みんな少しシャイなのか」と思っていたら、一人の 人が現地語のポプ・タンで喋り始めると、それに続いて次々に現地語での会話 が続いた。後で、一人の男の人が現地語の会話の経過をいろいろ説明してくれ たが、みんなスペイン語での話は理解できるが、自分の意見を表明するのにス ペイン語を使うのは難しいそうだ。このことは過去にいろいろプロジェクトを 持ってきてくれた団体との間にもあった問題で、団体から派遣されてくる人は みんなスペイン語だけしか理解しないので、どうしてもコミュニケーションに 問題が発生してしまうらしい。

現地の人達は言葉の問題以外にも、いろいろ問題点をあげていたが、いずれも 興味深い内容のものだった。現地の人達にとってはわずかなお金でも長期的な 視点に立って前もって投資するというようなことはたいへんなことで、すぐに 収入につながることでないとなかなか実現させることができないようだった。 そういう意味では、UAMの様に資金援助と農業プロジェクトの指導の両面で支 援してあげる団体は重要な存在である。ホルヘはスペイン語しか理解しないと はいえ、グァテマラでこういう仕事に長年携わっているだけに、現地の人々を うまく説得してプロジェクトを前向きに進めていくことができそうだった。私 の様な外人が何年もグァテマラで働いたとしても、こういう状況でものごとを 前向きに進めるのは並大抵のことではないように思われた。

ホルヘは、資金関連の事を中心に担当しているので、特に帳簿の付け方や、プ ロジェクト全体で利益が上がっているかどうかを把握する仕方などを細かく指 導していた。ささいな事にも手を抜かずにきっちり説明している様子に私は大 変感心したが、一方でそこまで細かい指導になるとさすがにはたで見ている方 としては退屈になってしまい、自分のパソコンを取り出して自分の事をいろい ろ始めてしまった。

ホテルで一晩過ごした後、La Democraciaという、別のメキシコ国境に近い、 Jacaltenangoに比べるとかなり大きな町といえるところにあるUPCという団体 を訪問。ここはコーヒーのプロジェクトでかなり成功を収めていて、ミーティ ングのために準備している資料もかなりしっかりしていて、運営にも多少余裕 を持っている雰囲気だった。しかし、成功しているからと言って手を抜いてい いわけではないようで、ここでもホルヘはまた細かいことをじっくりと指導し ていた。

午後になってから、今度はHuehuetenango州でもかなり反対側のメキシコ国境 からは遠い方へと移動して、Aguacatánという町にあるASDIAという団体を訪問。 ここは最近立ち上げたばかりの小さな団体で、まだまだこれからという感じの するところだった。私達が到着した時、すでに夕方の5時くらいで、それから 始まる夜のミーティングになったが、それでもまた同様に細かいお金の計算と かを手を抜かずにみっちりとやっていた。夜8時を過ぎてからAguacatánを出て Xelaに帰った時には10時をだいぶ過ぎていた。

ホルヘは翌朝またSan Marcosでミーティングがあるというのだから、けっこう なハードワークである。彼はあまりXelaの事務所に来ることはないので、どう いう仕事をしているのかよく知らなかったのだが、こういう出張を日常的にこ なしていると知って、多少は彼の仕事の大変さが理解できた感じがする。それ に、Xelaの事務所でミーティングがある時に、彼がかなり雄弁なのもなるほど と思える。後向きになりそうな農民たちを励ましてプロジェクトを前進させる 様に持っていく仕事は雄弁でないと勤まらないだろう。

2日がかりで3つの農民団体を訪問したことは、私には大変勉強になる体験だっ た。はっきり言って私はただついてまわっただけで、何の役にも立っていなかっ た。私に農協の様な農業関係の団体で20年くらいの勤務経験があり、かつスペ イン語がかなり込み入った会話も楽にこなせるくらい達者だったらどうだろう? と想像してみるが、まぁ多少は違うだろうが大して役に立たないという点では 大差はない気がする。こういう仕事はやっぱりグァテマラ人でないと無理だ。

Semana Santa

一年を通してグァテマラにとって最も重要な行事であると言えるSemana Santa (聖週間)の日々がやってきた。今年は3月17日から始まる週がSemana Santa である。

この1週間はまるごと休みで土日をはさんで9連休になる人が多く、グァテマラ 各地はグァテマラ人の旅行者で混雑する。アンティグアという観光都市の Semana Santaは、その豪華さで世界中から旅行者が集まる程である。せっかく グァテマラに住んでいるのであるから、この世界的にも有名なアンティグアの Semana Santaを観に行くべきではないか、とも考えたのだが、この時期アンティ グアのホテルは普通の3倍位の値段に跳ね上がる。その上交通機関はすべて激 しい混雑となるから、公共バスを使って子連れで移動するのは普段でも大変な ことを考えると、そこへ行くだけでもかなり大変そうである。さらに、グァテ マラ中の泥棒稼業の人達が稼ぎ時とばかりにアンティグアやそこへ向かう交通 の要所に集中してくると聞くと、少し二の足を踏まざるえない。

Xelaの近辺に見るべき所はないのかと知合いの人達からいろいろ聞いてみたが、 「キリスト教の宗教に興味があるのでなければさほど大したものはない」とい うことのようだった。

「Xelaはつまらなそうだ」とは思いつつも、アンティグアに行くほどの気合い がないままでいると、結果的にズルズルSemana SantaはXelaで過ごすことになっ てしまった。

Semana Santaの山場は金曜日にあり、この日にはグァテマラ中のいたるところ でprocesiónと呼ばれる行列をやっている。キリストの受難の日に関わるイベ ントなので、どこの行列でも十字架を背負ったキリストの像を運ぶのがメイン で。その行列に合わせて道を色つきのおがくず、花、穀物などといったもので きれいな模様の絨毯状の飾り付けをするところもある。

Semana Santa
私は、金曜日の午前中にXelaのとなり町のSalcajaという町の行列を見て、そ の日の午後にXelaの行列を見た。Xelaは大きな町なので複数の教会が町のあち こちで行列をしていた。こういう儀式を見るのが初めての人間にとっては、 「つまらない」と言われているXelaの行列でもけっこう興味深いものがあり楽 しかった。服装などに微妙な違いがあるとは言え、キリスト像のみこしを男の 人達が運び、マリア像のみこしを女の人達が運ぶという基本パターンはどの行 列も同じで、毎年見ている人にとっては特別に宗教的な感慨がなければ退屈な 儀式に見えてくるのも確かであろう。

アンティグアでは、絨毯状の飾り付けが目を見張るほど美しいらしいが、行列 の基本パターンに違いがあるわけでもなかろうし、Xelaの行列を見たので十分 だ。と、アンティグアに行く気合いがなかった軟弱な自分達を納得させながら わが家のSemana Santaは終わった。

文句を言わずに我慢する人達

グァテマラで生活していると、一般のグァテマラ人が非常に文句を言わない人 達であるのに気がつく。日本人も欧米人に比べれば文句を表に表現することが 少ない人達であるような気がするが、グァテマラ人は日本人の比ではない。

いくつか例を上げてみよう。

グァテマラの道路は狭い。その狭い道にくっついている歩道も狭く、人一人が やっと通れる幅しかないところがほとんどである上、いたるところに激しく段 差がある。そういう道を車がびゅんびゅんと歩行者優先の教育を受けたことの ないドライバーがとばしているので、歩行者は狭い歩道を車に怯えながら注意 深く歩かないといけない。

その歩道のいたるところに犬の糞が落ちているのでかなわない。その多くは野 良犬のものであるが、一部は公道に放たれた飼い犬のものである。私の常識で は公道に飼い犬を放つなど以ての外の事であるし、増えすぎた野良犬に対して は自治体政府などが何か対策を取るべきである。しかし、グァテマラでは誰か が文句を言っている気配もないし、また何か対策を取ろうとしている様子もな い。人々は日々汚い犬の糞を注意深く避けながら道を歩いている。

そういう、それでなくとも通りにくい歩道にどかっと砂山ができて道をふさい でいる事がある。道沿いの家が何か工事をしていてそれに必要な砂を積んでい るのである。これが2、3日で撤去されるのならまだわかる。数か月間、平然と 公道の歩道をふさぎ続けていることがよくある。砂山を避けるためには、車が 来てないことをよく確認しながら車道を歩かないといけない。小さな子供の手 を引いていたりしたらこれはけっこう大変なことである。子供人口の多いグァ テマラでは、小さな子供の手を引く親の数は日本人が想像するよりはるかに多 い。それでも、それでもである、誰も文句を言っている気配がない。

先日、道路で自動車同士の軽い接触事故を見た。一方の道路には大きく一旦停 止の表示があり、その表示を無視したドライバーが悪いことは誰の目にも明ら かだった。成行きを見ていた私は、違反のない方のドライバーが烈火の如く怒 りながら降りてきて違反したドライバーを責めたてる事を想像した。しかし、 実際の状況は大きく違っていた。違反のない方のドライバーにはまるっきり怒っ ている様な気配はなく、双方のドライバーで車のダメージを確認して、違反し た方のドライバーが軽く誤って、それで何事も無かったかの様に去っていった。 もちろん、ボロ車に乗っているが故の余裕というものがあることは間違いない。 しかし、交通ルールを無視したドライバーによって、一歩間違えば車だけでな く人体まで傷つけられたであろう様な状況である。そういうドライバーを何も 責めようとしないというのは、USや日本ではありえそうにない。

インディヘナスの人達は、500年間のスペイン人・ラディーノによる支配の中 で「物言えば唇寒し」という状況を生き抜いてきたのかもしれないから、めっ たな事で文句を言わないというのは、自然に身につけた防衛本能なのかもしれ ない。さらに近年の内戦中には、何か公に文句を言う事は、軍隊によってリン チや殺人という仕打を受ける事につながったわけだから、その口がますます硬 くなったことは確かだろう。

そういう「文句を言わない・言えない人達」の上に行政はあぐらをかき、金持 ちは横暴を極める。そういう悲しい現実が今のグァテマラにはある。

再びメキシコ旅行

4回目の滞在許可更新の時期がやってきた。今回は、私の母と叔母のメキシコ 旅行のガイドをすることになっていて、私達はメキシコシティーまで行かねば ならなかった。陸路でメキシコに入り、タパチュラからメキシコ国内線でメキ シコシティーへ行くのが安上がりと思われたのだが、メキシコ国内線料金が意 外に高く、グァテマラシティーから国際線でメキシコシティーへ飛ぶのとさほ ど大きな差はなかったのでグァテマラシティー経由を選んだ。

ファーストクラスバスの直行便があるグァテマラシティーは比較的行きやすい とは言え、たかだか200キロの移動に5時間を要するものだから、行きも帰りも グァテマラシティーで一泊となった。安ホテルに泊まると費用は大したことは ないのだが、安ホテルの近辺は治安の悪いグァテマラシティーでも殊更に悪く、 「首都の夜を楽しみましょう」などというオプションはありえない。小さい子 連れだと暗くなったらさっさと寝るだけで、いずれにしろそのオプションは私 達にはないのだから、それも大した問題ではなかったと言えばそうである。

今回はメキシコではメキシコシティーとオアハカを訪れたのだが、いずれも国 際的な観光地で、母達を案内する様なところに行くと、「あんたはスペイン語 を話すのか」とびっくりされる様な反応を受けた。「そうだ、私はスペイン語 を話せるのだ」と、スペイン語を話す自分に「えへん」という感じになりそう になったが、1年近くグァテマラに住んでいる現時点で旅行レベルの会話がで きなければどうかしている。それでも1年間のグァテマラ暮らしの成果がはっ きり見えた事はうれしいことで、内心では素直に喜んでいた。

メキシコでこじんまりとしたきれいな町と言えば、San Cristóbal de Las Casas だと思っていたがOaxacaはある意味でその上を行く町だった。あの zócaloの回りの雰囲気はちょっと他にはないだろう。グァテマラから訪れる人 間は、穴ぼこがなくて犬の糞がころがってない道だけでも感動してしまうのだ から、町の中心近くで歩いて行動できる範囲がどこを見てもきれいで美しい街 並であることは、驚異的な事のように見えた。

Oaxacaは2、3 年前に住民の抵抗運動に対して数人の死者を出す激しい弾圧が あり国際的なニュースになった町だが、その面影はどこにも見当たらなかった。 たぶん観光客の目が届かないところに封じられているのであろう。

なんだかんだ言って、メキシコはやはり旅行しやすいところである。観光地で は英語のツアーガイドを見つけるのも難しくない。それなりに快適な移動手段 もあるし、ホテルの類も充実しているから、私の母の様な70歳を越す高齢者で もそれなりに余裕を持って行動すれば大丈夫である。グァテマラとなると、私 は多くの人達に旅行しに来て欲しいのであるが、「安易に来れるところ」とし て気軽に誘えない現実がある。

母の日が大事な国

4月末でグァテマラに来てからちょうど1年が経過した。いろいろある年中行事 もこれからはすべて2回目の経験になっていく。「単なる経験主義的観察では、 何回も同じ行事を観察したところでたいして深い部分は見れない。逆にある種 の偏見の固定化が増進される可能性がある。」という事を心得て、できるだけ 新しい視点からの知識の吸収に努めながら2回目を経験していこう。というの を一応の努力目標に掲げておこう。

グァテマラでは「母の日」は5月の第二日曜ではなくて、5月10日という固定し た日に決まっている。なんとなく第二日曜というのの方が便宜的な決め方の感 じがして、10日の方が本来の「母の日」に忠実な様に感じがするが、真実がど こにあるのかはよくわからない。

とにかく、グァテマラではこの「母の日」をみんなが大変大切にして祝う。爆 竹が好きな人達なので、大事なイベントのある日にはあちこちでそれがなり響 くのであるが、5月10日に私達は朝5時に近所に爆竹と巨大ミュージックの音で 起こされた。「何も朝5時に鳴らさなくても・・・」と思うのであるが、きっ と一般のグァテマラ人はそうは思わないのであろう。

この日は一日、プレゼントやお祝いのメッセージが激しく飛び交う。お店では 母の日ギフトや母の日ケーキの大セールになる。

それだけ「母」をみんな大事にしているということなのであろうが、一方で 「父の日」はほとんど祝われない。「父」がそんなに大切でないというわけで はないが、マチスモの影響もあり子供の世話は「母」の仕事であるから、世話 をしてもらったことに対する感謝の念の大きさは「母へ」の方が「父へ」より はるかに大きくなるということらしい。

母の日の翌日の日曜日にINEPASで奨学金をもらっている人達が動物園に集まる イベントにマリアさんに誘われたので、私達はそこへ家族連れで参加させても らった。マリアさんは奨学生にとっては母親役の様なものだからか、奨学生達 が次々に感謝の言葉とともにプレゼントをマリアさんに渡していて、さしずめ 「母親役であるマリアさんに感謝するイベント」の様に見えた。

INEPASの奨学生を決める審査で大きな影響力を持つマリアさんがこんな風にプ レゼントをもらっていいのだろうか。普段から自分達への利益誘導のために利 己的に動くグァテマラ人を批判しているマリアさんにしては、少し行動基準が 甘くないのか。という思いがしたが、選考前プレゼントなら贈賄に限りなく近 いが、すでに奨学生に選考された人達であるから、純粋に感謝の気持ちを表明 していたのだろうし、グァテマラ人の「母の日好き感情」も考慮しないといけ ないのだろう。

話が「母の日」と全く関係ないところに飛ぶが、私はそのINEPASのイベントに 参加している間、QPともう一人インディヘナの3歳の女の子の面倒を見て遊ん でやっていた。QPは5歳なので、5歳と3歳の子供の体力差は相当あるはずなの で一緒に遊べるだろうかと少し心配だった。実際見た感じではQPが頭一つ以上 大きいし、3歳の女の子は栄養不良というわけではないが、見るからに華奢で だっこしてみたらものすごく軽い。

ところが一緒に遊ばせてみると、走ったり飛んだりの運動能力はその3歳の女 の子の方がQPよりも上であった。「見て、見て、見て、」と言いながら二人が ジャンプしている時に、私はわが子に劣等感を持たせてはいけないと思い、 「二人ともすごいねぇー」と言っていたが、QPは一生懸命飛んでも常に20セン チばかり後ろに着地していた。

運動能力の点でQPが一年程度遅れていて、その女の子が一年程度進んでいれば それはあり得ることなのだが、普通そういう場合は体格にも同様な遅れと進み がありそうだ。5歳と3歳で、体格的にも年齢相応かそれ以上の開きがある二人 の女の子の運動能力が逆転しているというのはどういうわけ・・・、と考える とやっぱり日頃の生活の厳しさの違いなのかと思ってしまう。なんだかんだ言っ て甘やかされて育ったいるQPに比べて、インディヘナの女の子の生活ははるか に厳しいであろう。乳幼児死亡率が高いグァテマラでも、貧しいインディヘナ スの子供達の中では特に高い。強い子でないと生き残れない厳しい環境の中で 生き残っていく子はやっぱり違うのだろうか。 以前、Volcán Santa Mariaという山に登ったときインディヘナの小さな女の子 が登っているのを見て驚いた事があったが、この日再び同様な驚きを、それも わが子との比較において持つことになった。

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