日々の生活8

友遠方より来る

などということはグァテマラのようなところに住んでいるとほとんどない。 「グァテマラいいですねぇー。是非一度行ってみたいです。」と社交辞令的に 言ってくれる友人はたくさんいても、実際に実行に移そうと思う人はまれであ る。なにしろ、遠くて、時間がかかり、飛行機代もたいへんである。ある程度 まとまった期間仕事の休みがとれて、かつ飛行機代をひねり出すくらいの経済 的に余裕がある人でないと現実的にグァテマラ訪問を考えることはできないだ ろう。それに、同じ時間と金をつぎこむのなら、ちょっとくらい友人がいるか らといってグァテマラを選ぶより他の場所を選ぶ方に走るかもしれない。グァ テマラに来るには「友人がいるから」というレベルを越えた熱意が必要なので ある。

とにかく、そういったわけで、私達のグァテマラ滞在の終わりが近づくまで日 本から知人・友人・親戚が訪れてくるということはなかった。いよいよグァテ マラ滞在が後2ヶ月足らずになったところで、私の若い従兄弟が訪問してくれ ることになり、彼は飛行機のチケットまで買って準備していたのであるが、直 前になって仕事の事情でキャンセルせざる得なくなってしまった。初めての日 本からのお客さんを期待していたのであるが、残念。

しかし、その後の9月中旬になって、私が通った大学の教官だったという因縁 でなぜか今までつきあいのあるKさんが、ついに初めての、そしておそらく最 後のお客さんとして、訪問を果してくれた。

グァテマラのすごいところは、特別に観光地を訪れないでも、そのへんの町を ぶらつくだけで、スペイン支配前から存在したマヤ人の文化が500年近くにお よぶスペイン支配の中でもいろいろ形を変えながら受け継がれ、そして今を生 きる人々の中にも色濃く残っているのが一目でわかるところである。これはメ キシコなどでは味わえない特徴であり、これを堪能してもらえるかどうかがグァ テマラに来たことに満足してもらえるかどうかの別れ目になるので、私はXela の町やXela近辺の町の日常的な人々の様子を見てもらえる様にKさんをあちこ ち案内した。ちょうど9月15日の独立記念日を挟むお祭りの期間でもあったの で、お祭りの様子を見てもらうこともできた。

「グァテマラ訪問を実行に移すほどの熱意のある人」の99%は、グァテマラの すごいところを堪能できる人であると思うから、Kさんもきっと満足してくれ たことであろう。

とにかく、私達を訪ねて、グァテマラに来てくれた人、来ようとしてくれた人、 が実際にいたことはうれしいことであった。

最後の滞在許可更新旅行

10月末にグァテマラを去る予定にしているのであるが、最後にもう一回、3ヶ 月に一度の滞在許可更新を果たさないといけない。これが6度目の更新になる。 いろいろ悩んだのであるが、最後にもう一度メキシコに行くことにした。さん ざんグァテマラの汚職のひどさを批判しているのであるから、それに手を貸す ことなくきちんと合法的に3日間以上メキシコに滞在してから帰ってくること にした。メキシコへ行くのは5回目になるが、ひょっとしたらメキシコ旅行も これが最後になるかもしれない。

Xelaからメキシコというと当然チアパス旅行になるが、もうあっちこっち行っ てしまっているので、特別に行きたいところは別にない。あえて考えてみると、 Tuxtla Gutiérrez(トゥクスクラ・グティエレス)の近くのスミデロ渓谷にま だ行ってなかった。1000m級の渓谷が作る自然美は目を見張るものがあると聞 くから、とりあえずそこを目当てにして旅行することにした。どうせ、Tuxtla Gutiérrezに行くならあの美しい動物園(ZOOMAT)にもう一度行きたい。そう なるとTuxtla Gutiérrezで3泊、その後、San Cristóbal de Las Casas(サン クリストバル・デ・ラス・カサス)をもう一度訪れて、そこで1泊してからグァ テマラに帰ることにした。

グァテマラ・メキシコ国境のMesilla(メシヤ)までチキンバスに揺られて行っ た後、メキシコに入ると、例によってまたこの2国の違いを見せつけられる。 メキシコのミニバス、コレクティーボの快適なこと、グァテマラのミニバスに 比べて倍以上の運賃を払ってこの快適さを買えるメキシコ人は、やはり金持ち なのだ。

予定通り、Tuxtla Gutiérrezで動物園とスミデロ渓谷を楽しみ、San Cristóbal de Las CasasではLas Grutas(ラス・グルタス)という鍾乳洞を見 学して、十分満足して帰路についた。

帰りは少し楽をしようと思って、メキシコ側ではクリストバル・コロンの高級 バスで国境のCuauhtémoc(クアウテモク)まで行き、そこからクリストバル・ コロンと提携して接続便になっているLinea Doradaの1stクラスバスでXelaの すぐ近くのCuatro Caminos(クアトロ・カミーノス)まで乗ってしまうことに した。チケットも、クリストバル・コロンのバスステーションで通しで買うこ とができた。これでグァテマラのチキンバスにはほとんど乗らなくてすむので 楽ちんである、と思っていたのだが、1年半近くグァテマラに住んでいるのに、 まだグァテマラという国を正しく理解していない私達であった。いざ、グァテ マラ側のMesillaに着いてみるとLinea Doradaのバスなどどこにもいない。 「今日は町の交通事情で国境まで来なくて、ターミナルから出発する」と聞い たので、ターミナル近くのLinea Doradaの乗り場まで行った。そこにいた Linea Doradaの職員にバスは出るのかと聞いたら、正午に出るはずのバスが 「夜の9時まで出ない」と言うではないか。いったいどうなっているのか、な んでも山崩れでバスが通れないとか、「夜の9時は絶対大丈夫なのか?」と聞 くと「それは絶対大丈夫」と言う。山崩れでバスが通れない状況なのに、どう して夜の9時は絶対大丈夫と言えるのか、すこし変だ。「明日はどうなのか?」 と聞くと、「明日も夜9時でないと出ない」と言う。昼は土砂撤去作業とかで 通行止めにしているというようなことなのだろうと理解することにしたが、夜 の9時まで待ちたくないし、真夜中にCuatro Caminosに到着するというのもい やである。

他に選択肢はないのかと、ああだこうだ言っているうちにLinea Doradaのチケッ トを無駄にしてセカンドクラスのバスに乗るなら昼でも行けると言うではない か。なんでLinea Doradaは走れなくてセカンドクラスのバス=チキンバスは走 れるのか。Linea Doradaのバスはたしかに少し大きいが、そんな微妙な差のせ いなのだろうか。とにかくよくわからないが、しょうがないからチキンバスの ターミナルに行くと、Xelaに行くバスは何事もない様に出発準備をしていて、 車掌に聞くと「道路には何の問題もない全く通常どおりに運行している」とい うことだ。Xelaに明るいうちに帰れることになってよかったものの、Linea Dorada の話はいったいどういうことなのか。私達はいろいろありえそうなス トーリーを考えて議論することで、なんとかLinea Doradaに対する怒りを静め てXelaに帰った。

国外のバスとのリンクなどという複雑なシステムがグァテマラでうまく運営さ れているとみた私達が甘かったと言えばそうで、今回得た教訓で今後はそうい うチケットを買ったりしないと思うが、その教訓が生きる時があるかどうか。

陸路国境越え手続きの謎

メキシコ・グァテマラ国境を何度か通過したが、この国境越え手続きはその都 度違い混乱させられる。もちろんこれは入出国審査官が腐敗しているのがおも な原因である。

腐敗は置いておいて、メキシコ側のCuauhtémocの役人の中に一人ものすごく態 度が横柄な人がいて、そのせいで私はその人の顔を覚えていた。「あ、またこ いつがいる」と思ったのだが、横柄なのは相変わらずで、グァテマラからメキ シコに入ってくる人を何かレベルが下の人間とでも見ているかの様な態度で、 ここまでむかつく役人には他のどの国の入国審査でも出会ったことがない。

むかつく気持ちは抑えて、再出国の時には前回と同様一人237ペソ支払わなけ ればならないことを確認する。これは銀行で払える様にツーリストカードの一 部が支払い書になっているのだから、公式に決められている料金のようである。 「銀行で長い行列を待って払うのは大変だからここでも払える」と一言付け加 えてくれたのが、むかつく役人の唯一の親切と言えばそうであった。

237×3=711ペソを私達はしっかりキープして国境に戻ってきて、メキシコ出 国手続きのために同じオフィスに行った。しかし、どういうわけか出国スタン プをパスポートに押して、ツーリストカードを回収した後、何も請求してこな い。「これで手続きは全部ですか」と聞くと「そうだ」と言うので、余計なこ とは聞かずにさっさと事務所を立ち去った。711ペソも浮いてラッキーな気分 だったが、「どうして請求されなかったのだろうか」ということは謎だった。 彼らが金の請求を忘れるはずはないと思うから、そもそも本来はいらないもの だったのではないかと考えてみるが、それではあのツーリストカードの237ペ ソとしっかり書かれた支払い書はなんだったのか。

後日少しインターネットでリサーチしてみたが、「出国スタンプなんかいらな くて、メキシコ側の事務所は素通りすればいい」という人から、「銀行で支払っ ておかないと出国させてくれない」という人まで、さまざまな異なる主張があ り、何が真実か、依然として謎は解けなかった。

グァテマラ側にも、もちろん不可解なことはたくさんある。グァテマラ側はパ スポートの機械読み取りの部分をスキャンしているので、何かを読み取ってい るようであるが、いったい何をどこまでコンピュータ管理しているのであろう か。メキシコ国境のコンピュータが常に首都のデータベース(そんなものがも しあれば)とオンラインでつながっているとは考えられないから、90日滞在の チェックはパスポートのスタンプ頼りであろう。今回も、コンピュータでスキャ ンした後、「90日を越えている」、「そんなことはない、よく見てください」、 「あ、君の言う通りだね」というやりとりの後、パスポートに出国印を押して もらった。超過滞在に関しては正式に一日あたりの罰金が決まっているはずだ が、賄賂で非公式に処理をするのはおおいにありそうだ。

グァテマラに再入国するさい、入国書類を書かされるはずなので、「それをく れ」と要求したら、「コンピュータ処理だからそんなものはいらん」と言う。 しかし、他の人を見たら書類を渡している。どうなっているのだろうかと様子 を見ていると、私達のパスポートをコンピュータにスキャンさせて、その後入 国スタンプを新たな90日許可で押してくれた。「なんか本当に書類はいらない みたいだなぁー」と思っていたら、パスポートを手渡される時に一人20ペソを 要求された。「なんで?」、「そういうことに決まっている」というやりとり の後、なんか変だなぁーと思いつつ、少額だったので、「書類省略代と思えば まぁいいか」と思い、それ以上もめる気にもならず要求された額を払って入国 手続きを終えた。

この「もめる気にならない」という程度の少額を請求するのが入国審査官のテ クニックなのだろう。せっかくグァテマラの役人の腐敗に手を貸さないように 心がけていたのに、どうやら手を貸してしまったようだ。

これも後日インターネットで少し調べてみたら、こういう少額の要求を不審に 思って領収書を要求したらあっさり書いてくれた、という経験談があった。た ぶん、彼らは後で問題にならない領収書がいつでも作れるようにちゃんと準備 しているのだろう。

グァテマラ最後の日々

11月1日にグァテマラを去ることに決めているのだが、その日が差し迫ってく ると忙しいことで一杯になってくる。いろいろな人にお別れの挨拶をしたいし、 最後だからといって昼食や夕食に呼んでくれる人達のお招きにも応じたい。グァ テマラの後は南アメリカ・ヨーロッパを旅行する予定にしているので、その準 備もしなければいけない。思い出の品々で旅行に持っていけないものは、送料 がかさんでも箱詰して日本に送ることにしている。

QPは幼稚園の卒業式、誕生日という自分が主役のイベントがこの時期に重なり、 あわただしい中で小さなお祝いしかしてもらえなかったが、それでも十分満足 していたようだ。子供心にも、グァテマラにはたくさんの貧しい子供達がいて 自分はすごく恵まれているということを感じているようだった。INEPASからは Cantelの女の子達が着ているのと同じ民族服をプレゼントしてもらって、それ を大はしゃぎで着ていた。その服を着せて道を歩いていると、知らない人から 「外国人はたくさんいるが、あなた達のように自分の子供にグァテマラ人の服 を着せている人はめったにいない。ありがとう。」と言われて握手を求められ たりした。

ベンハミンも「最後に是非うちの村を見にきてくれ」と、彼の村Paxtocaを案 内してくれた。Paxtocaはほとんど全住民がインディヘナスで、とうもろこし 栽培と機織りの仕事以外には何もない、典型的なグァテマラの貧しい村であっ た。ベンハミンは土壁のいかにも貧しい家に住んでいたが、彼の友人はボロく ても車を持っていて豪勢な家に住んでいた。理由を聞いたら、その友人の兄弟 がアメリカに出稼ぎに行っていて、その仕送りのおかげでそういう生活ができ ているということだった。アメリカへ不法移民することがいかに悲惨であるか わかっていても、こういう歴然とした経済的格差が住民に明らかになるがゆえ に、あえて人々はアメリカへ行こうとする。この非常にゆがんだ構造がグァテ マラ全体、いや中米全体にまで広がっているのが大きな問題である。根本的に は、USとその南の国々の間にある激しい経済格差があるが、USが常に不法移民 を労働力調整に悪用していることもあるし、いかなる手段で得ようと金さえあ ればより幸せになれる思わざるえない貧しい村々の状況もある。「貧しい中で も少しずつ自分達で産業を起こすことを考え、村の経済を自立して豊かにして いくという発想へ転換しろ」と言うのは簡単だが、具体的にそういう方向にもっ ていくのはかなり難しそうだ。私がボランティアをしていたUAMの様な農協に 近い団体が、各村に一つくらい必要な気がするが、それは政府がやらないと誰 もできないだろう。残念ながらベンハミンも含めてほとんどのグァテマラ人に 言わせると「政府はただの泥棒」で何かを期待するには話にならないらしい。

ベンハミンの若い友人達が最後に私の家に来たので、日本の箸でものを食べる やりかたを教えてあげたら、おおはしゃぎでみんなでトライしていた。今度私 がグァテマラに来る時までには練習してなんでも食べられるようになっておく、 と言っていた。もし私がもう一度グァテマラに戻ってくることがあって、また Paxtocaを訪れる時には、彼らが不法移民に走ってなくて自分達の村に残って がんばっている姿が見られて、箸の話を思い出して盛り上がることができたら すばらしいと思う。

さようならXela、さようならGuatemala

最後の数日は猛烈に忙しい日々で、のんびりとなごりを惜しんでいる余裕など なかった。とにかく必要な事はこなして、必要な別れの挨拶もすませて、最後 の夜に旅に出る荷物を作り上げ、10月31日の朝9時半のバスでXelaを後にした。 一晩Guatemala Cityに泊まった後11月1日の飛行機でペルーのリマへ飛び立ち、 1年半のグァテマラ生活に終止符を打った。

1年半の間にいろいろあったことを総括して何かをここに書こうという野望は 持たないことにした。暇があったら、自分自身でこのサイトに書いてきた事を 読み直してグァテマラでのできごとにまた思いを馳せるであろう。

いろいろな事を経験させてくれたGuatemalaの国とGuatemalaの人々に心からあ りがとうを言いたい。このサイトを読んでくれきた日本の友人達も、長い間駄 文につき合ってくれてありがとう。

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