親子三人、グァテマラに住む |
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余談 |
語学-英語私は、非常に理系に偏った人間で、文系教科は全てまるっきりダメだった。中 でも英語は、中学校のころからすでに嫌いで、「嫌いだから勉強しない、勉強 しないから授業で恥をかく、そしてさらにまた嫌いになる」という悪循環に陥り、 大学受験の時には相当足を引っ張られる科目になってしまっていた。 そのくらい英語が嫌いだったから、社会に出てからしばらくは英語の勉強など をしようと思うことはなかった。 しかし、「世の中英語ができると便利だ」ということは、嫌が上にも段々実感 させられてくる。「どうして少数の大国の言語による世界支配に屈伏せねばな らんのか」という思いはあれど、海外旅行一つとっても英語ができるとできな いでは大きく違う。 それで、30代も半ば近くになったころからであろうか、少し真剣に勉強を始め た。そうは言っても、当時、猛烈に仕事をしていたから勉強する時間はそんな になかったように思う。猛烈に仕事をした経験のある日本人は多いので、わかっ てもらえる人も多いと思うが、猛烈に働きながら「二足のわらじ」なんぞとい うものを追求するのは、並の人間には所詮無理である。そして「猛烈に働く環 境」というやつから自力で抜け出すことも、並の人間には相当難しいのだ。 では、どうすればいいのか。夜逃げ、高飛び、エクソダス、とにかく思い切っ た行為に出て過去を清算して新しい環境に身を入れるしかない。それで、まず はこの「できるようになれば便利」な英語を身につけてやろう、と思って米国 に移住した。シリコンバレーの近くに行けば、自分の職歴を生かし仕事につけ るかもしれないという思いもあり、サンフランシスコの英語学校に入学したの だ。当時、私は37歳で、家族はいなかったので決断は楽だったが、仕事上の後 始末をきちんとするのが大変だった。多少の迷惑をいろいろな人にかけてしま うことになるのはかんべんしてもらわなければいけなかった。 日本にいる間に少しばかり勉強していた英語の実力はどのくらいだったであろ うか、TOEICで600は超えていたと思うが、700にはかなり及ばないところにい たように思う。そこからスタートして、いくら英語嫌いの理系人間でも、「サ ンフランシスコに住んで英語学校に通うこと以外これといってなし」という生 活を送っていれば、多少は上達する。 それでも上達の速度が期待していたより遅い。 それは単に英語が話されるところに住んだからと言って魔法の様なことが起こ るわけではないというあたりまえのことを思い知らされただけだ。こういう事 実を目の前にした時は、あまり深刻にならずにリラックスして勉強を続けるこ とだ。 語学学習はリラックスして学ぶことと得たり これは、米国で英語を習うことで得た一つの大きな成果だ。思い出せば、高校 の英語の授業、心の中で「先生当てないで」と祈っている、運悪く当てられて しまったら、どうやって大恥をかかずにこの苦境を脱するかということに四苦 八苦。これで何かを学習せよというのが無理だ。 英語学習の過程において、自分でそれなりのレベルに達したと思えるようになっ た後からも、「ガーン」と自尊心に一撃を食らうようなことが誰にでもある。 そして、誰もが「これまでこんなに勉強してきたことは何だったのか」と悩む ことになる。日本の多くの教師は、そこで悩ませ、悔しさのエネルギーを蓄え させることが、次のステップへの糧になるとでも思っているのであろうが、そ れだけは絶対に間違っていると私は思う。深刻にならずリラックスして時を過 ごせば必ず自信は回復する。心理的負担を軽減して、継続して学ぶことを心が けるべきだ。 幸い、私の職歴は現地の企業の一つから評価されて、労働ビザをサポートして もらえることになったので、そのままSFベイエリアに住みつづけることができ ることになった。 働き始めてからも、仕事が終わった後に英語のクラスを取りに行ったりして、 渡米後2年間くらいはそれなりに真剣に勉強していた。でも、その後は勉強を する意欲をなくしてしまった。そして、意欲をなくした時が上達の終わる時で ある。したがって、SFベイエリアに10年住んだが、最初の2年間ぐらいが終わっ た後は、さほど英語は上達していない。日常的に使っているから、あまり忘れ てもないが、分野の違うところに行くとかなりボロがでる。 娘のQPがプリスクールに行くようになって、英語の絵本を読んでくれと親にせ がむようになってきた。QPは私が読んでやると、どうも発音が変だというのに 子供ながらに気がついていて、「お父さんは英語が下手だから、お母さんがい い」という。もちろん、すでにリラックスの術をマスターしている私は、そん なことで深刻になったりしない。「それならお母さんに読んでもらいなさい。 お母さん、QPはお父さんではダメだそうだ」と、子供の世話から解放されたの を喜んで、いそいそとコンピュータに向かう。 いつのころからか私は、ネイティブの様にしゃべることより、自分の言いたい ことを通じさせることに重点を置くようになってきて、「これは、通じない」 と思えるような単語や表現はまず避ける。そして、かっこよくなめらかにしゃ べるより、ブロークンでも誤解の余地がないというしゃべりかたを心がけるよ うになってきている。間違っても、最近本で読んだ難しい表現を試みるという ようなことはしない。それが、私が仕事をする上ではもっとも役に立つ英語な のだ。そして、たぶんそれが「できるようになれば便利」という私にとって 必要にして十分なレベルの英語なのだ。 したがって、私は「できるようになれば便利」というレベルでの英語はもうマ スターしていると言える。コンピュータのプログラムを書く人、中でも私のよ うなおたく上がりプログラマーは、「これがあれば便利、というツールプログ ラムを作っているうちに、ツールを作ることが目的化してしまって、ツールが できた時にはそれを使うことにはさして興味がなくなってしまっている」とい う様なことに陥る場合が多々ある。ひょっとして英語もそういうものだったの かも。 今できるようになっているレベルの英語は、はたしてそんなに便利で役に立つ ものであろうか? 日本に帰って仕事をすることを考えれば、役に立たせようと思えば相当役に立 つに違いない。しかし、そこに私のやりたいことがあるのかどうか。それは、 今はよくわからないから、日本に帰って仕事をすることになった時に考えるこ とにしよう。 日本の外で暮らす分には、そこが英語圏でなくても、英語ができることはかな り役に立つ。「グァテマラに住む」ということが、割と気軽に選択肢に入って きたのは、そういう恩恵を享受していることの一つだ。 「嫌いな英語」を乗り越えて、マスターしたのに、それだけ? まぁ、いいや。語学は所詮ツールであるが、そのツールを使って何かを得よう とするものは、いい仕事だったり、新しい知識だったり、そういうものもたい ていはさらに何かを得るためのツールと言える。仮にそれがいい仕事だったら、 それで得るのはきっと金だ。そして金もまたツールみたいなもんだ。金を得て、 マークレビンソンの1000万円のオーディオアンプを買ったら、それは音楽を聞 くためのツールだ。そして音楽は人をリフレシュしてくれるツールで、リフレ シュされた人はまた次の事にチャレンジするエネルギーを得る。 結局見えてくるのは、ツール習得の深いネスティングの末の再帰性である。そ の再帰の環を回っているのが人生なら、その環の中の運動をある時点で止める と、何やらつまらんツール習得にあくせくするだけに終わっているように見え てもしょうがない。 (2007年03月21日) |
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